オタワ愛徳修道女会
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祈り、霊的生活の成長 ~年の黙想より~

あなた方が自分自身の望みを放棄すれば、神の霊があなた方を満たして下さる。
(創立者尊者エリザベト・ブルイエールの遺言)

  上野毛の黙想の家にて、年の黙想をしていた時のことを思い出します。 自分の中に全くと言ってよいほど余裕がなく、神を迎える隙間などまったくないように感じていました。 そこに、なんとか聖霊が入って下さるよう祈っていると、数知れないガラクタが散乱している状態が浮かんできたのです。 あるものは悪臭を放ってさえいる、見るも無残な状態でした。私は、これが今の私の魂の状態なのだと感じたのです。 司祭が講話で繰り返しおっしゃっていた自己愛、自己中心から生み出されるガラクタが私の内なる部屋一杯に広がっていたのです。

  ゆるしの秘跡の時に司祭のことばが心にしみました。 「そのような壊れたボロボロの家に、イエス様は住んで下さっているのです。 イエス様は家畜小屋、清潔でもない家畜小屋のえさ箱の中にお生まれになったのです。 誰でも近づけるように。 シスター、ありのままで祈って下さい。 照らされたことに感謝しましょう。」

  奉献生活は聖霊の賜物であると言われますが、 人は聖霊によらなければ、誰も祈ることができず、祈りを導くのも神なる聖霊であると。 そして、神との真実の関わりを阻止する一番の要因は「自己愛」なのだと気づかされます。
  イエスは言われます。「わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の祈りを保つものはそれを失うがわたしのために命を失う者はそれを得る。」(マタイ16:24,25)。 これについてグエン・ヴァン・ツアン司教様は希望の道「牢獄からの福音」で次のように言及します。

『主ご自身と一緒に、御父のもとへ向かうこの道を歩き始めるのですから、希望をもつのは当然ではありませんか。 この希望を行く旅には3つの段階があります。

  1. 出発「自分を捨てること」
  2. 神の御心「毎日、自分の十字架を背負う事」
  3. 不屈の努力「わたしに従いなさい」といわれるキリストに粘り強くついていくこと。

自分を捨てることは、出発なのです。ペテロは自分を守り、イエスを捨てました。 自己愛を保つということはイエスを捨てることです。』

あなたへ   黙想会の時の司祭のことば。
「兄弟姉妹との交わりは重荷なのです。 兄弟姉妹との交わりを重荷と感じているなら、あなたはイエスに従っているのです。 安心してください。 十字架のない交わりは、社交的な交わりでしかありません。 自分を捨てたら、どうやって自分を保っていけるのか、これは人間の思いです。 失うまいと手放さないからすべてを失うのです。捨てたら、神のいのちで満たされます。」

  創立者の「自分の望みを放棄すれば、神の霊で満たされます。」ということばが、 恵みと彼女の不屈の努力によって得た悟りであったことを理解しました。
(M・K)


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