
ある日の新聞「折々のことば」に載ったことば。
困難な状況を前にして、人はつい「棒くいにしがみつく」。
何かの原理に身を預け、「正しい」思考に沿って状況を見ようとする。
哲学者がこれに対置するのは、常に状況の渦中にあって、
己の視線が抱える矛盾やかつて犯した過失から眼をそむけず、
むしろそれに「身もだえ」しながら見ること。
そうした「態度」の中ではじめて行く手も掴める。
2025.12.5折々のことば 『竹内好 ある方法の伝記』鶴見俊輔著から
「何かの原理」に身を預けることで安心することはある。
福音もその捉え方によって
「正しさ」という棒くいになってしまう可能性もある。
「身もだえ」することは簡単ではない、熱量が必要だし、勇気ももしかしたら、謙虚さも必要だ。
けれど、「正しいことをわかってると思っている人」ではなく、
わからず問い続ける人~信じているがゆえに身もだえやめないところに、
信仰者の本来の姿があるのではないだろうか。
「来るべき方は、あなたでしょうか、それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
(ルカ7:19)
ゲッセマネでのイエスは、まさにその身もだえが描写されている場面だろう。
そして人は、身もだえの時こそ、そこに一緒にただいてくれる誰かがいてくれることを求める。
日本管区本部修道院
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